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2005年10月14日金曜日

信濃紀行02 ~ご遷宮をテーマに その2

馬籠宿。朝早かったので、
観光客もなければお店も
ほとんど閉じていました……。
尾張一宮・真清田神社。
●10月14日(金) 中津川→馬籠→真清田神社(尾張一宮)
朝8時に、ホテルを出発。
途中、中山道の宿場・馬籠宿に立ち寄り、30分ほど歩く。朝も早いので人影はまだ少ないが、空気が澄んでいて家並みの向こうに見える山並みが綺麗。お店は閉じているところがほとんど。島崎藤村資料館は駆け足に拝観。かつて学校で習った詩を改めて読んでみて、感じ入ってしまった。受け取る側の年齢や経験によって、響くものが違うらしい。

9時過ぎに馬籠を出発。
途中、栗菓子のお店『すや』さんに立ち寄り、栗きんとんを買う。栗と砂糖だけで作られたシンプルな栗きんとん。車中でいただきながら一路名古屋へ。

ちなみにこの栗きんとん、地元っ子には馴染みのお菓子のよう。控えめな甘さで、『栗そのもの』の味。サツマイモと合わせた栗きんとん(お正月に食べるものですね)ではない栗きんとんは初めて。ちょっと感動。

名古屋には10時半頃に入る。高速道路を降り、真清田神社へ。

真清田神社は尾張一宮で、今年、木曽上松から切り出された御樋代木が道中お休みをした神社。奉曳にはなんと5万人もの人が集まったとか。御樋代木が到着した晩も、お祭り騒ぎだったそう。

この真清田神社で、初穂料を収め、祈祷していただいた。
(拝殿にあがっての祈祷は生まれて初めてだったので、かなりドギマギしました…。)
宮司さんに御挨拶をして、尾張一宮駅から帰京。

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2005.10/13~14 絵と写真、文:岩井友子

2005年10月13日木曜日

信濃紀行02 ~ご遷宮をテーマに その1

『くるまや』さん。
美味しいお蕎麦でした。
御嶽山をとても綺麗に拝めた一日。
赤澤休養林のなかの堰。
かつて、川を利用して木材を
降ろしたときの名残です。
6月に伊勢で行われた御樋代木奉曳のときの御樋代木の根株を見に、上松へ行ってきました。

●10月13日(木) 木曽福島→開田高原→赤澤休養林→上松
朝の8時30分、八王子駅から『スーパーあずさ』で一路、塩尻へ。塩尻からは『ワイドビューしなの』に乗り、木曽福島には11時18分に到着。
駅前には地元の方が既に待っていてくださり、まずは腹ごしらえで駅近くのお蕎麦屋『くるまや』さんに行く。
『くるまや』さんのお蕎麦は十割。色は驚くくらい濃い蕎麦色なのだが、見た目も触感もつるつる。つなぎに秘密があるらしいのだが、それ自体がやっぱり秘密らしい。

『くるまや』さんのお向かいには漆工芸品のお店。木曽は木工芸と漆の里。

さて、車で開田高原へ。まだ少し紅葉には早く、「今年は少し遅いみたいですねえ」と地元の方。台風が少ない今年は、ブナの実やドングリの実が一気に落ちてしまうことがなく、山に実が豊富な当たり年らしい。それなのに熊の出没情報が出ていて、「今年は降りてはこないと思っていたんですけど」。

開田高原はちょうど標高が1000メートルほど。木曽福島のあたりでも900はあるという。白川郷でも500メートル、遠山郷の谷底も500メートルほど(下栗で900メートルくらい)だから、数字を聞いて驚いた。実は、そんなに標高が高い印象を受けなかったのだ。家々の屋根はどっしりと大きく、傾斜が緩い。雪はそれほど深くないそうである。

開田高原からは御嶽山が綺麗に見えた。しばらく雨続きで、ここまで晴れたのは久しぶりだという。
木曽馬牧場もあり、見に行くと、一頭、お腹のパンパンな馬が。冬に子供を産むらしい。
三岳村では、御岳神社をお参り。樹齢千年の御神木は圧巻。

上松町へ入り、赤澤自然休養林へ。御樋代木(みひしろぎ)の切り株を見に行く。
御樋代木となる御用材は、『三つ紐伐り』という切り方でねかせる(=倒す)。伊勢では『三つ尾伐り』というそうである。三点を残して斧を入れていき、受け口へ倒す古くからのきり方で、残された根株の切り口は、椀型に凹んでいた。「ここに一升分の水が入るくらいが、いいねかせ方なんだそうです」

ヒノキの原生林が残る木曽の一帯は、6割以上が国有林だとのこと。森全体が明るい感じがした。
「ヒノキの森は、確かに明るいですね」。真っ白な川床の岩が見事な景観を見せてくれて、一行、大感激。

切り倒された株や朽ちて折れた株は、やがて苔をかぶり、新たな実生の床となるのだそう。苔むすまでには100年以上かかるので、着床する種は根株が生きている間に播いた“子”の、その“子”が播いた“孫木”なのだとか。根株はやがて孫が大樹になる頃には朽ち果てて、消えていく。赤澤休養林は、そんな“循環”がそここに見える。
大神宮に奉納された御樋代木の根株。

2005年2月18日金曜日

伊勢紀行01 ~ご遷宮をテーマに その4

●2月18日(金) 薄曇り
朝、神棚のお水を取り替えて、最後の朝なので「お世話になりました」と御礼。

<河崎の川の駅。>
<勢田川と河崎の町並み。>
<二軒茶屋。>
河崎商人館に行き、自転車を借りる。
商人館の西条さんは志摩の民俗資料館に18年ほど勤められたとか。その資料館、宮本常一先生の最後のお仕事だったそうで、西条さんご自身は宮本先生にお会いしたことはないとはいえ、これも不思議なご縁だとしみじみ。
先に伊勢市駅へ行き、帰りの切符を購入。それから月夜見宮の近くの麹屋さんで、赤出汁味噌とたまり醤油(伊勢と言えばたまり醤油)を買い、ぎゅーとら(伊勢近郊に展開するお総菜が美味しいスーパー)で伊勢うどんをタレと一緒に買う。ホント、お土産が重い。

土産類を南町の家にどんと置いて、勢田川沿いに自転車を走らせ、まずは二軒茶屋へ。昔、舟参宮の人々が疲れを癒したという「二軒茶屋餅」を買う。江戸時代に「角屋」「湊屋」という二軒のお茶屋があったので二軒茶屋というそう。今もお餅を売っているのは角屋さん。

勢田川の堤防沿いを、自転車でのんびり進む。
川幅は一気に広がって、海が近いことを感じさせる。
一色大橋の先は、もう海。自転車でヒイヒイ言いつつ大橋の上まで来ると、朝熊山から神路、外宮の森までパノラマで一気に見えた。この地域、ほとんどが海抜0メートルに近いと聞いて、橋が高いのも仕方ないか、とは後で思う。
対岸は神社(かみやしろ)地域。ついつい「じんじゃ」と呼びたくなるが、あくまで「かみやしろ」。

2005年2月17日木曜日

伊勢紀行01 ~ご遷宮をテーマに その3


2005.2/16~18 絵と写真、文:岩井友子

伊勢紀行01 ~ご遷宮をテーマに その2

●2月17日(木) 薄曇り時々晴れ

外宮さんから風宮、多賀宮、土宮、下御井神社とお参りし、社務所の横を通って厩に行くと、真っ白な神馬がいた。昭和51年生まれとかで、馬としては高齢になるんでしょうか。ぼーっと参拝者を観察していた。

2005年2月16日水曜日

伊勢紀行01 ~ご遷宮をテーマに その1

「この神風の伊勢の国は則ち常世の浪、重浪(しきなみ)の帰する国、傍国の可怜国(うましくに)なり、この国に居らましと欲す」
天照大御神が伊勢の国に居を据えることを決めたときの言葉である。
鎮座の場所を求め諸国を遍歴していた倭姫命は、この言葉に従い、伊勢の地をそれと定めたと伝えられている。二千年ほど前のことと言われる。そして今や、摂末社含めた125社もの「大家族」が、伊勢に鎮座している。
この「お伊勢さん」こと伊勢の神宮の社殿が20年に一度、建て替えられることは、実はそれほど一般的な知識ではないかもしれない。今回、伊勢を旅したのは、ご遷宮をテーマにしたフォーラムの資料作りを頼まれたからであるが、私にとってもまた、遷宮はおろか、伊勢もまた、未知の場所なのだった。
そんな事情で、今回も「放牧舎」的歩きまわり走りまわり食べまわりを伊勢にて敢行。 
その伊勢歩きの拠点としたのが、伊勢市駅から歩いて10分、五十鈴川の支流・勢田川のほとりの河崎という町。
江戸時代、伊勢が全国の人々の『お伊勢参り』で賑わったころ、遠州や三河から舟で参宮する人々が、伊勢湾を渡ってこの勢田川に舟をつけ、外宮へと向かったそうである。この河崎には、瓦葺き、妻入りの家並みが、今も往時を偲ばせながら並んでいる。そのなかにある「伊勢河崎商人館」はかつての酒問屋で、今はNPO河崎町づくり衆の皆さんが活動している場所。今回、この町づくり衆の皆さんが修繕した空き家を使わせてもらうことになった。
それぞれの一日が妙に長いので、お好きな日へどうぞ。↓
》2月16日の125社めぐりへ
》2月17日の伊勢参りへ
》2月17日の伊勢参り地図
》2月18日の勢田川めぐりへ