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2002年3月20日水曜日

三朝のジンショ大綱の図

完成した大綱
雌綱のツボグチに、雄綱のツボグチを差し込み、さらに雄綱のツボグチに「宝木」と言われる杉の丸材を差し込んで両綱を結合しています。ちなみに雄綱の末尾は丸く折り返してあり、雌綱の末尾はまっすぐのびているのが伝統とか。

ジンショ(綱引き)では綱を地面に置いたまま引き合います。とにかく重いんです。ジンショが終わると即座に大綱は解体され、毎年新しい大綱をつくります。

この図を描いた時に、現場で測った綱の長さは、東側が50m西側が58.5mでした。(この図では上が東側)
それを1:10の縮尺で図にしたので、図面の長さもそれなりに・・・。
(18.05mのロールトレペを使いきり、30cm程余った。)

以下、長い大綱の図 。

鳥取県三朝町 ジンショの大綱

遊樹・吉田葉子が『ジンショ』祭りで行われる 綱引きの綱の記録作業のため現地入り。
現場での実測、観察を元に122枚の図面を書き上げた。

「鳥取県三朝町では毎年5月3日、4日に花湯祭り(はなゆまつり)が催され、4日の夜10時頃からジンショと呼ばれる大綱引きが行われます。全長80m、胴回り2mの巨大な雌綱と雄綱を作り、その両綱を結合させ東西に分かれて引き合う勇壮な伝統行事です。東が勝てば豊作、西が勝てば商売繁盛になるとか。観客も飛び入り参加できますので是非一度挑戦してみてください。

私達は、2001年にその大綱が作られる工程を現地で記録。丸一日かけて区民総出で綱をなう作業は、それ自体が祭りのよう。自然の材料と格闘する三朝の方々の姿に圧倒されてしまいました。そのスケールと技術をどう記録して作図すればよいのか、私達にとっても大きな挑戦でした。記録を元に制作した工程図のごく一部をご紹介しますので御覧下さい。

尚2002年に「三朝のジンショ」は県無形文化財に指定されました。

●制作行程
図1:大綱の材料はなんと、藤カズラ。山で切り出した3tのカズラを三朝川に1週間漬けたものを使用。

2002年2月11日月曜日

南信濃紀行02

2002/2/11   晴れ
06:30
起床。
07:00
宿を出て、辺りをフラフラする。諏訪神社に寄ると、人が数名集まっていた。社の入り口も開いている。居た人に聞くと、今日ここで祭りがあるのだという。
今回は違うが、御柱の話をしてくれた。7年に一度、山から木を切り出す。4月の第一日曜日に集落を通って持ってくる。その木を切った土地の持ち主が、来ていた。
お祭りは9時からあるのだという。
08:00
宿に戻り朝食。支払いを済まし宿を出る。
09:30
諏訪神社に着くとのぼりがたち、お社の中には明かりが灯っている。人も10人ほど集まっていた。
近づいていくと、中に招かれ、入ってみる。薬師寺の時もそうだったが、割とすんなりと招き入れてくれることが多い。土地の人柄だろうか?
お社の中は16畳ほどの板間、中央の大釜には火が入り、湯が沸いている。左に受付のような机があり、右に太鼓を叩く場所が頭の上辺りの高さに設けられている。正面には一段高い畳敷きの場があり、その奥に2坪の神棚がある。二階はなく天井は暗く、高い。煙出しのように高くなったところがある。
中を見回っているうちに、入り口の戸が締められ、祭りが始まる。神主さまが、いくつか言葉を述べる。聞き取れた内容から判断するに、建国祭であるらしい。
数回、神主さまが立ったり座ったり、祝詞を読んだ後、終わりの言葉があり、祭りは終わる。10時過ぎ頃か?
次に、遠山天満宮に移動。ここでは、観光に来た人の前で霜月祭りの一部を再現するという。それを見学させて貰う。

2002年2月9日土曜日

南信濃紀行01

2002/2/9 晴れ。
09:00
新宿発、飯田行きのバスに乗る。三連休ということもあり、中央高速はスキーを車の上に載せた車で込んでいた。
昼を過ぎ、長坂を過ぎたあたりで寝てしまう。
13:00
起きたら飯田駅に着いていた。
14:20
和田行きのバスに乗り込む。
天竜川を渡り、山へと入っていく。ずいぶん登っていくとようやく下りになった。山の斜面は思っていたよりも急ではないが、所々切り立った岩壁となる。川と平行する道、その途中とちゅうに集落、家が建っている。家のすぐ後ろ側には茶を植えているらしい畑がある。石や丸太などで土止めをしてある。一部の小屋は、静岡井川のあたりで山に作る、出小屋と似ている。田んぼは見なかった。
山中に焼畑の様子を見つけることは出来なかった。
道(川)のすぐわきに家と畑がある。河岸段丘というには少し狭いが、峻険というわけではない。