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2002年2月11日月曜日

南信濃紀行02

2002/2/11   晴れ
06:30
起床。
07:00
宿を出て、辺りをフラフラする。諏訪神社に寄ると、人が数名集まっていた。社の入り口も開いている。居た人に聞くと、今日ここで祭りがあるのだという。
今回は違うが、御柱の話をしてくれた。7年に一度、山から木を切り出す。4月の第一日曜日に集落を通って持ってくる。その木を切った土地の持ち主が、来ていた。
お祭りは9時からあるのだという。
08:00
宿に戻り朝食。支払いを済まし宿を出る。
09:30
諏訪神社に着くとのぼりがたち、お社の中には明かりが灯っている。人も10人ほど集まっていた。
近づいていくと、中に招かれ、入ってみる。薬師寺の時もそうだったが、割とすんなりと招き入れてくれることが多い。土地の人柄だろうか?
お社の中は16畳ほどの板間、中央の大釜には火が入り、湯が沸いている。左に受付のような机があり、右に太鼓を叩く場所が頭の上辺りの高さに設けられている。正面には一段高い畳敷きの場があり、その奥に2坪の神棚がある。二階はなく天井は暗く、高い。煙出しのように高くなったところがある。
中を見回っているうちに、入り口の戸が締められ、祭りが始まる。神主さまが、いくつか言葉を述べる。聞き取れた内容から判断するに、建国祭であるらしい。
数回、神主さまが立ったり座ったり、祝詞を読んだ後、終わりの言葉があり、祭りは終わる。10時過ぎ頃か?
次に、遠山天満宮に移動。ここでは、観光に来た人の前で霜月祭りの一部を再現するという。それを見学させて貰う。

遠山の集落は山の尾根の斜面にあり、やはりお茶の畑が広がる。その集落の一番上に天満宮がある。ここの霜月祭りは一時期、人不足で途絶えたのだが、近年、足りない人手を観光できた人を巻き込んで補うことで復活した。今回の再現は、祭りの後継者である高校生たちが多くの部分を舞う。
遠山天満宮は、先に書いたように、集落の頂上にある。急な斜面に建つ家や、畑をぬって上り、鳥居をくぐってさらに階段を上る。息が上がる頃にやっとツマ入りのお社にたどり着く。入り口の辺り(下屋)は、後でつくられたものらしく、つなぎ目がある。次の梁にも彫り物があり、引き戸のほぞや、取り払われた柱のほぞなどの名残があった。
入り口の左に高くつけられた、太鼓を叩く場所があり、次の間、中央には鼎に掛けられ火の入った大釜に湯が沸いている。左右に一段高い座敷、正面にも同じく、その奥に神棚があり、その前には舞いに使う面が置かれている。
朝、諏訪神社で話を聞かせてくれた方が、太鼓を叩いていた。上りで作った羽織と袴を身につけている。上りの時に書かれていた、墨書がまだらに黒く、模様のようである。この衣装は、洗うと願い事が水に流れてしまうので洗わないとのこと。
12:00頃
客が集まり、再現が始まる。一定のリズムを刻む太鼓の音が心地いい。舞の鈴の音も混じり、聞き入っているとぼ~っとしてくる。
まずは、釜の周りを踏みならすように舞う。手には扇と鈴を持っている。次にゲドウ払いという舞で、鈴と脇差しを持っている。さらに水の王、火の王、猿とつづく。
「何で神さまの中に猿が混じっているのか?おもしろいじゃろう?猿も一緒に楽しむ。除け者にしないで混ぜてやるということ。」そう言っていた。
14:00ごろ
遅めの昼食を八重河内でとる。
食後、山の上の学校の跡地(らしい)に上る。吊り橋を渡り、急斜面を上る。上り坂の所々に庚申さまの石像が置かれている。8本の手を持つ神さまと、太陽と月。
14:30ごろ
飯田へと向かう。

その後、樋口は名古屋へ向かい、年に数回という大雪に埋もれる・・・。

おしまい。

南信濃紀行02    絵:岩井友子、文:樋口潤一