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2004年12月24日金曜日

南信濃紀行04 ~霜月祭り〜

◆2004年12月22日(水)
13時、立川をレンタカーで出発。いつものことを考えるとかなり遅めの時間。出来れば陽が落ちるまでに矢筈トンネルをくぐりたいな、と思いつつ車を走らせる。中央高速は順調。17時過ぎにはかぐらの湯に到着した。
いつもお世話になっている方に簡単な挨拶だけ済ませて大町へ。
集合時間は18時だったが、15分ほど早い到着。集会所には既に地元の方が集まっていた。
今回は、大町にあるキャンプ施設・天仁の杜の企画である霜月祭り体験ツアー『山の寺子屋』の裏方スタッフとしての参加。ところが集まってみると、全員が裏方スタッフ(いわゆるボランティア)で、普通の参加者はいないらしい。ボランティアは私を含め、近県の岐阜や名古屋、福井などから10名ほど。論文の調査にきている学生さんもいた。私のように、昨年から続いての参加、という方もいた。

2004年12月13日月曜日

長野県下伊那郡上村下栗 拾五社神社の霜月祭 その5


23:04
襷の舞(たすきのまい)が始まります。赤い襷の人4人と、白い襷の人が4人、交互に並んで輪になって舞います。手には鈴と扇子を持ちます。若い人たちが参加しているようでした。
  
23:18~23:34
扇子を刀に持ち替えて舞います。笛太鼓に合わせて鈴を鳴らします。

長野県下伊那郡上村下栗 拾五社神社の霜月祭 その4


18:20
笛と太鼓が再び聴こえてきました。「天伯の湯」です。皆で唄いながら釜の周りをまわります。
18:39
やがて、音に合わせて湯差し棒(御幣のついた棒?)の先を、釜の湯にチョンとつける動作を繰り返すようになります。このチョンとお湯をつける時に、数人の人が反対側の人にお湯の雫を飛ばしはじめました。そうなると、お湯をかけられた人は次にはやり返すようになり、だんだんエスカレートして、まるでお湯飛ばし合戦のようになっていきます。皆とっても楽しそうです。
18:50
再び輪になって、鈴と扇子を持って「喜びの舞」を行います。
18:50~19:40
休憩。

長野県下伊那郡上村下栗 拾五社神社の霜月祭 その3

  
唄が変わると、御幣の先を釜の湯に付けます。
14:36
各御幣が回収され、柏手の後、釜に蓋をして一段落。
  

15:00
先ほどと同様に、釜を挟んで座る4人に御幣が手渡されます。
そして邪気払いを各方向で行います。
その後、御幣を持って、各大社の名前を唄い舞います。
「○○大明神 くも(雲)とーのーぼーれー♪
○○八幡社 くもーとーのーぼーれー
○○○の神 くもーとーのーぼーれー……」

長野県下伊那郡上村下栗 拾五社神社の霜月祭 その2

 
10:40
神社に戻り、汲んできたお水で、祭りに使う釜を洗いました。
2つの釜を三徳にのせて、それぞれにお水をたっぷり注ぎます。
蓋の上には、笹を束ねたものがのせられました。
  
10:50~11:00
しばし休憩。
外のたき火で、サンマが焼かれています。
遠山郷では、おめでたい時にサンマを食べると、何かで読んだ気がします。標高1000メートルでサンマに出会うとは思いがけないことです。とても良いお天気で、12月とは思えない程暖かい日になりました。

長野県下伊那郡上村下栗 拾五社神社の霜月祭 その1

●下栗
下栗は、上村の南に位置し、標高800メートルから1100メートルの急傾斜地にある集落。
下栗の霜月祭を、見てみたい。という、毎度ながら単純な発想で拾五社神社を訪れました。

●祭の起源
霜月祭の起源は不明らしいのですが、地元の方のお話では、一説として、300年程前にこの地を納めていた遠山氏に由来するとのことでした。厳しい年貢の取り立てに耐えかねた農民たちが当時一揆を起こして遠山氏を滅ぼし、その後、遠山郷で流行病が広がったことから、村人はこれを遠山氏の祟りと考えるようになり、遠山氏の霊を鎮めるために祭りを始めたということです。

●面
拾五社神社は合祀している神社なので、祭りに使われる面(オモテ)がすべて2つずつあり、全部で48面あるそうです。他の神社では4人で舞う舞も、8人で舞うのだそうです。また他の神社にはないタツガシラという面がここにはあります。
●スケッチ