このページの先頭へ

2005年10月13日木曜日

信濃紀行02 ~ご遷宮をテーマに その1

『くるまや』さん。
美味しいお蕎麦でした。
御嶽山をとても綺麗に拝めた一日。
赤澤休養林のなかの堰。
かつて、川を利用して木材を
降ろしたときの名残です。
6月に伊勢で行われた御樋代木奉曳のときの御樋代木の根株を見に、上松へ行ってきました。

●10月13日(木) 木曽福島→開田高原→赤澤休養林→上松
朝の8時30分、八王子駅から『スーパーあずさ』で一路、塩尻へ。塩尻からは『ワイドビューしなの』に乗り、木曽福島には11時18分に到着。
駅前には地元の方が既に待っていてくださり、まずは腹ごしらえで駅近くのお蕎麦屋『くるまや』さんに行く。
『くるまや』さんのお蕎麦は十割。色は驚くくらい濃い蕎麦色なのだが、見た目も触感もつるつる。つなぎに秘密があるらしいのだが、それ自体がやっぱり秘密らしい。

『くるまや』さんのお向かいには漆工芸品のお店。木曽は木工芸と漆の里。

さて、車で開田高原へ。まだ少し紅葉には早く、「今年は少し遅いみたいですねえ」と地元の方。台風が少ない今年は、ブナの実やドングリの実が一気に落ちてしまうことがなく、山に実が豊富な当たり年らしい。それなのに熊の出没情報が出ていて、「今年は降りてはこないと思っていたんですけど」。

開田高原はちょうど標高が1000メートルほど。木曽福島のあたりでも900はあるという。白川郷でも500メートル、遠山郷の谷底も500メートルほど(下栗で900メートルくらい)だから、数字を聞いて驚いた。実は、そんなに標高が高い印象を受けなかったのだ。家々の屋根はどっしりと大きく、傾斜が緩い。雪はそれほど深くないそうである。

開田高原からは御嶽山が綺麗に見えた。しばらく雨続きで、ここまで晴れたのは久しぶりだという。
木曽馬牧場もあり、見に行くと、一頭、お腹のパンパンな馬が。冬に子供を産むらしい。
三岳村では、御岳神社をお参り。樹齢千年の御神木は圧巻。

上松町へ入り、赤澤自然休養林へ。御樋代木(みひしろぎ)の切り株を見に行く。
御樋代木となる御用材は、『三つ紐伐り』という切り方でねかせる(=倒す)。伊勢では『三つ尾伐り』というそうである。三点を残して斧を入れていき、受け口へ倒す古くからのきり方で、残された根株の切り口は、椀型に凹んでいた。「ここに一升分の水が入るくらいが、いいねかせ方なんだそうです」

ヒノキの原生林が残る木曽の一帯は、6割以上が国有林だとのこと。森全体が明るい感じがした。
「ヒノキの森は、確かに明るいですね」。真っ白な川床の岩が見事な景観を見せてくれて、一行、大感激。

切り倒された株や朽ちて折れた株は、やがて苔をかぶり、新たな実生の床となるのだそう。苔むすまでには100年以上かかるので、着床する種は根株が生きている間に播いた“子”の、その“子”が播いた“孫木”なのだとか。根株はやがて孫が大樹になる頃には朽ち果てて、消えていく。赤澤休養林は、そんな“循環”がそここに見える。
大神宮に奉納された御樋代木の根株。


赤澤休養林のなかには
林鉄も走っていました。
現在は観光用に運用されています。
車中、いろいろお話を伺った。
御樋代木として伐る木は予め定めておくんですか、と尋ねたら、そうではないらしい。一度定めても、木の中に空洞があったり腐っているとわかった場合には、変更になることもあるという。
「昔は、いざ切り倒してもしも中が腐っていたとき、木を見定めた担当者はその場で打ち首だったなんて話もあります」。神様の御用材となるのは、何においても厳格である。

道脇には、材木を並べた貯木場があった。
「木曽は林業が今も盛んなようですね」と言ったら、「そうですね。でも、最盛期の25分の1ほどですよ」とのこと。案内してくださったこの方も、ヒノキ材の材木屋さん。各地の寺社に材を納めておられるとのこと。その倉庫にお邪魔させていただいた。
「何処との御縁があるか。今、それを待っているところですね」。
ヒノキのとても良い香りがした。

夜は妻籠宿から少し山間に入ったところのホテルに宿泊。


2005.10/13~14 絵と写真、文:岩井友子