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2005年2月16日水曜日

伊勢紀行01 ~ご遷宮をテーマに その1

「この神風の伊勢の国は則ち常世の浪、重浪(しきなみ)の帰する国、傍国の可怜国(うましくに)なり、この国に居らましと欲す」
天照大御神が伊勢の国に居を据えることを決めたときの言葉である。
鎮座の場所を求め諸国を遍歴していた倭姫命は、この言葉に従い、伊勢の地をそれと定めたと伝えられている。二千年ほど前のことと言われる。そして今や、摂末社含めた125社もの「大家族」が、伊勢に鎮座している。
この「お伊勢さん」こと伊勢の神宮の社殿が20年に一度、建て替えられることは、実はそれほど一般的な知識ではないかもしれない。今回、伊勢を旅したのは、ご遷宮をテーマにしたフォーラムの資料作りを頼まれたからであるが、私にとってもまた、遷宮はおろか、伊勢もまた、未知の場所なのだった。
そんな事情で、今回も「放牧舎」的歩きまわり走りまわり食べまわりを伊勢にて敢行。 
その伊勢歩きの拠点としたのが、伊勢市駅から歩いて10分、五十鈴川の支流・勢田川のほとりの河崎という町。
江戸時代、伊勢が全国の人々の『お伊勢参り』で賑わったころ、遠州や三河から舟で参宮する人々が、伊勢湾を渡ってこの勢田川に舟をつけ、外宮へと向かったそうである。この河崎には、瓦葺き、妻入りの家並みが、今も往時を偲ばせながら並んでいる。そのなかにある「伊勢河崎商人館」はかつての酒問屋で、今はNPO河崎町づくり衆の皆さんが活動している場所。今回、この町づくり衆の皆さんが修繕した空き家を使わせてもらうことになった。
それぞれの一日が妙に長いので、お好きな日へどうぞ。↓
》2月16日の125社めぐりへ
》2月17日の伊勢参りへ
》2月17日の伊勢参り地図
》2月18日の勢田川めぐりへ



●2月16日(水) 雨
朝9時、中西さんが車で来て下さる。
中西さんは地元の方。伊勢に着いた14日の晩、「水曜日やったら一日つき合えるし、どっか行きたいとこ、ある?」と言ってくださった。125社巡りをしてみたいと思っていたので、その話をしたら「よし、なら滝原宮へ行こう。9時に来る」と帰って行かれた。
125社のうち、別宮は正宮と関わりの深い神を祀り、摂社は延喜式神名帳、末社は延暦儀式帳に記載されているもので、時代を経て合祀されているところもあり、125社と言っても125ヶ所にあるわけではないらしい。地図で調べてみると、大体は伊勢の外宮・内宮周辺と、田丸や外城田といった伊勢からも近い地域にあるのだが、なかにはちょっと足を伸ばさないと行けないところもあり、滝原宮はそのうちの一つ。
中西さんの運転で、国道23号線からくるくると裏道に入り、齋宮や祓川を通り、国道42号線(熊野街道)へ。
滝原宮へは10時過ぎに着く。
この日は朝から雨。けれど「おお、雨もええなあ」と中西さん。なかでも御手洗(みたらし)は、頓登川の川水で手を清める仕掛け。川水で手を清め、神殿へ。
敷き詰められた清石が雨水で黒光りしていて、白石との対比が鮮やか。合祀されている若宮神社、長由介(ながゆけ)神社と、滝原竝宮(たきはらならびのみや)にもお参りする。
滝原宮は天照大神が祭神。滝原竝宮には荒御魂がお祀りしてある。
「和御魂と荒御魂を別々にする、これが面白いとこや」とは、14日の晩の中西さんのお話。
「千木と堅魚木、わかるやろ。千木の先の面が垂直なんが外宮系、水平が内宮系や。あと堅魚木が偶数なんが内宮系、奇数なんが外宮系。パッと見でどっちかすぐわかる」と、教えて下さる。
次は、同じ「たきはら」でも多岐原神社へ。ここは中西さんも来たことがないそうで、地図を片手に辿り着く。滝原宮から車で10分かからないくらい。
宮川河畔の集落のなかに、ぽこんと鎮守の森があり、「なんかそれっぽいかも」と歩いていくと、ビンゴ。
<滝原宮の御手洗。
冷たい川水で手を清める。>
<滝原宮(右)。左は滝原竝宮。
雨もあって清石と白石の対比が鮮やか。>
<多岐原神社の裏手、宮川河畔。>
<久具都比賣神社の御手洗。かわいい。>
<伊雑宮の境内にある不思議な樹根。
一升瓶が供えてある。>
<佐美長神社に合祀されている4社。
小さくても、ちゃんと千木も
堅魚木もある。>
滝原宮とは比べものにならないくらい、小さくひっそりとした社。お参りしたあと、「降りられるかも」と宮川の川原に降りてみる。
前の年、次々と日本列島にやってきた台風の被害で全国に報じられた宮川村は、この宮川の最上流にある村。目に付いた、根こそぎ倒れた巨木や竹林がなぎ倒された跡は、どうもその名残らしい。川面から数メートルは上のその有様に、中西さんも「あそこまで水が来たんやなあ」。中西さんは、宮川村へ植樹をしにいったそうである。
森のことはよくわからない私。「あそこまでの台風になると、もう森の手入れ云々ではないんでしょうか」と、聞いてみた。
「や、やっぱり根の張り方が違う。ちゃんと間伐せんと、木の根がどうしても浅くなるんやな」
そういえば遠山郷で、福井の渡辺先生が、一本の木が抱える地面の量について話をしてくださったことがある。一本の木が抱える地面の量が少ないと、陽もささず、脆くなって、崩れやすい。
神様が怒るんや、と渡辺先生が言っていた。
そして、いずれあの辺も崩れるやろう、と森を指さしていたことも。 多岐原神社を出て、進路を東へ。
度会町でお昼。うな丼である。関東では、タレは御飯にさっとかけてあるだけだが、伊勢では粒ひとつひとつにまで絡められている。茶色い御飯の上に、腹から拓いたうなぎ。身も厚く、ふわふわしていて美味しい。
再び地図を片手に東へ走る。
上久具にある久具都比賣(くぐつひめ)神社も、ぽこんとした鎮守の森が集落の端っこにある。多岐原神社と同じく宮川の河畔。その入口、御手洗は両手で抱えられるくらいの岩の上部が削られて、恐らく自然に水が溜まったもの。柄杓がちょこんと置いてあり、中西さんと二人、思わず「いいねえ、これ」。
そのあと宮川沿いを北上、園相神社へ。
ところがこの神社、今までの神社や宮と違って、標識が何もない。「それっぽい鎮守かも」と思いながら、標識のなさに油断していたら思わず通り過ぎてしまった。次に行った、園相神社から車で数分の川原神社は派手なパチンコ屋の裏手にそれとなくあり、あまりのひっそり具合。
川原神社は、まだ社殿が新しかった。「そうは言っても、数年は経ってるけど」と中西さん。
ご遷宮は、御正宮を皮切りに、別宮、摂末社も行うのだが、一斉にではなく順々にするそうだ。川原神社は前回のご遷宮のとき、遷宮の順番が遅かったほうに入るのだろう。
ちなみに河崎にある河邊七種神社のような、摂末社に属さない氏神もご遷宮をするそうだが、それは20年ごとと決まってはおらず、「やれるときにやる」のだそうだ。氏子の管轄だけに、20年ごと、というのは、やっぱりえらいそうである。「おし、次、どこ行こうか」
と、中西さんが言うので、ちょっぴり恐れ多いながらも、
「あの、行けたら磯部へ……」
「行ける行ける。よし、伊雑宮やな。途中で天の岩戸も寄っていこう」
磯部は滝原宮なみに伊勢から遠いところ。しかも、滝原宮からも遠いところ。早い話、かなり図々しいお願い。
川原神社から伊勢市街へ入り、月夜見宮へ。一風変わった稲荷神社も境内には合祀されている。
別宮と摂末社では、やはり何か雰囲気が違う気がする。
ここで、千木と堅魚木の復習。これまで回って来たのは内宮系の別宮や摂末社だったが、月夜見宮は外宮の別宮。千木の先は垂直で、堅魚木は奇数。「なるほど~」。
旅館組合でコーヒーと、空っぽのペットボトルを二ついただいて、出発。
御木本道路を通り、内宮さんを横目に五十鈴川を渡り、伊勢道路へ。左手に、渓流が流れる。内宮の境内の中を流れ、五十鈴川へ注ぐ島路川の上流である。
ふと景色を見遣ると、木々の先が仄かに紅い。
今度は新潟・高根の遠山実さんの言葉を思い出す。「木の先が紅くなっとるろ。あれ、春が近い証拠」。
実は伊勢に来る直前、実さんの働くスキー場へ行っていた。毎日がガンガンの豪雪。そのなかで、けれど確かに色づいていく木の息吹を、実さんが教えてくれた。
伊勢の木々も、先が紅かった。
春なんだなあ、と思った。 伊勢道路は、片側一車線ずつがきちんと整備されているとはいえ、れっきとした山道。そこを、がんがん車が往来していく。
磯部と伊勢を行き来するには一番早いから、と中西さん。事故も多いらしい。
峠を越えたところで、大きな看板。『全国の名水百選 天の岩戸』。
ちょっぴりの寄り道で、伊勢道路から外れる。1キロちょっとほど山に入り、車をとめて数分歩くと、水源地が祀られていた。
まるい味のお水。
遠くから汲みにくる人もいるそうで、確かに、駐車場の一角に、本来ならスーパーで見られるはずのカートが置いてあった。
旅館組合でもらったペットボトルに水を汲んで、再び伊勢道路へ。
すぐに、田園風景が拓けてくる。
あれが伊雑宮、と中西さんが指さした先に、田んぼのなか、やっぱりぽこんと鎮守の森。
伊雑宮のそばには御田(神田)もある。境内に入ると衛士さんが掃除中だった。お参りの帰り、社務所のそばに不思議な形の木が。根元がぼっこりと大きく膨らんでいる。「何か抱いとるんかもしれませんなあ」と、社務所をふき掃除していた方。一升瓶が供えられていた。
そのあと、車で数分の佐美長神社へ。入口の前の路地はまっすぐ小学校の校庭に続いていて、ちょうど子どもたちの下校時間だった。
境内の片隅に、合祀されている4つの小さな社が並んでいた。小さくとも社。ちゃんと千木も堅魚木もあり、可愛らしかった。
近鉄線沿いに国道167号を北上。途中、地名の話になる。
国崎(くざき)、兄国(えぐに)、相差(おうさつ)、相可(おうか)、etc。読めない地名が多すぎます、ほんと。けれど、地名にはやはり意味があるもの。今度、滝原宮のある大宮町も合併で名前が変わるとか。合併する三つの町村の漢字をくっつけた名前になるらしい。「大宮って、滝原宮のことやと思うんだよな。それを合併、合併でくっつけたり、まったく変えてしまうんでは、歴史も何もわからなくなってしまう」と中西さん。
愛知でもめているセントレア市は、やっぱり腑に落ちない、と思う。 鳥羽の近く、赤崎神社は古座が見あたらない神社。ここもやはりひっそりしていて、またしても通り過ぎかける。
遷宮地がなさそうなので、同じ場所で建て替えるのかな?と首を傾げつつ、この日の旅は終わりとなった。
鳥羽から二見を回って、河崎へ。南町の家には16時半ころ着いた。
総走行距離およそ150キロでした。


2005.2/16~18 絵と写真、文:岩井友子